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名古屋高等裁判所 昭和35年(ネ)399号 判決 1961年12月15日

控訴人 川合誠司

右訴訟代理人弁護士 田中親義

被控訴人 林明達

<外四名>

主文

原判決を取消す。

被控訴人等は控訴人に対し別紙目録記載の宅地上に存する原判決添附第二目録記載の建物を収去して別紙目録記載の土地を明渡し、且昭和三十一年一月一日以降同年十二月末日まで一ヶ月坪百四十五円、昭和三十二年一月一日以降同年十二月末日まで一ヶ月坪金百五十八円、昭和三十三年一月一日以降同年十二月末日まで一ヶ月坪金百六十六円、昭和三十四年一月一日以降同年十二月末日まで一ヶ月坪金百八十七円、昭和三十五年一月一日以降右土地明渡済に至るまで一ヶ月坪金二百八円の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、成立に争のない甲第一、二号証同第四号証の一乃至四、同第五号証の一乃至六原審証人北条義章(第一、二回)の証言、当審証人伊藤祐覚の証言、原審並当審における控訴本人の供述によれば、本件土地は元控訴人の先々代川合伊左衛門の所有であつたが、同人が昭和六年岡山市野田屋町から名古屋市中区葉場町五十二番の二、五十三番の二に移転許可を得て同所に建立した真宗大谷派の末寺長源寺の敷地として寄附したことにより同寺の所有となつたこと、同寺は移転完了の届出があつた昭和十年七月頃から寺院明細帳に登録せられている寺院であり、控訴人先代は同寺の住職であつたが、昭和十八年同人死亡後は当時控訴人が未成年者であつたため北条義章が代務者となり寺の事務を取扱つていたこと、右長源寺は前記の如く移転寺であつたため本来の壇徒はなかつたが必要な信徒と信徒総代は設けてあつたこと、その後右長源寺は戦災によつて焼失したが之が再建は困難であつた上控訴人が幼少であつたので北条義章は同寺を廃寺となすことに決し、昭和二十八年六月所属宗派大谷派本願寺主管者の承認並信徒総代の承認を得て解散手続を進め残余財産たる本件土地を控訴人の所有に帰属せしめることとして処理し昭和三十年十二月九日その登記手続を終つたこと右処置について右主管者及信徒総代においても異議がなかつたことを認めることができる。而して、長源寺は宗教団体法施行当時寺院明細帳に登録されていた寺院であるから同法第三十二条第一項第二条第二項により法人たる寺院となつたものと認むべきである。然しなから、原審における控訴本人の供述によれば長源寺は同法第三十二条第二項により寺院規則を定めなかつたのみならず現在に至るまで寺院規則を定めなかつたことを認めることができる。そこで、長源寺は寺院規則を有しない法人たる寺院として存続することとなり、その後宗教法人令施行と共に同令附則第二項により長源寺は同令による宗教法人となり、尚寺院規則を有しないままの寺院として存続することとなつたものというべきである。その後現行宗教法人法が施行せられるに及び、長源寺は同法附則第三項第四項により旧宗教法人令による法人として存続し只同法附則第十五項乃至十七項の適用を受ける結果昭和二十七年十月三日の満了により解散したものというべきである。従つて、前記認定の昭和二十八年六月頃北条義章が所属宗派主管者から承認に得て解散手続をしたのは本来前記法令上も之を為すべき原由があつたものというべきであつて、その後前記の如く清算手続をすすめて残余財産たる本件土地を控訴人の所有となしたのは正当であるというべきである。只、長源寺は旧宗教法人令による法人であり、かかる法人については旧宗教法人令は宗教法人法施行后もなおその清算手続は宗教法人令によるべきであり、同令第十四条によれば残余財産の帰属について寺院規則の定のない場合は裁判所の許可を得て他の宗教法人又は公益事業のために之を処分し然らざる場合は国庫に帰属する旨規定している。然しながら、当審証人伊藤祐覚、同岡田順証の証言同証言により成立を認すべき甲第六号証によれば、真宗大谷派の末寺であつて寺院規則を有しない寺が解散する場合にはその寺有財産の処分については総代の同意を得て住職の承継者と目すべきものに残余財産を帰属せしめることがむしろ慣習となつていることが認められる。そして、原審証人北条義章、当審証人伊藤祐覚同岡田順証の各証言、原審及当審における控訴本人の供述によれば長源寺は前記の如く真宗大谷派末寺でその建立者たる控訴人先々代以来右慣習を排斥する意思があつたものと認められないし寺院規則の作成変更に関しては宗教法人令第三条第二項及同令第六条が所属宗派主管者の承認を受けることを要する旨規定している外宗教法人令の全規定を通覧しても寺院規則の内容について国家的規制を加えている様な規定が見当らないから、前記宗教法人令第十四条の規定は必ずしも右の如き慣習をも容れないという程の強行法規と認めねばならないこともないから控訴人は前記清算人の残余財産処分により本件土地の所有権を有効に取得したものというべきである。

被控訴人等は被控訴人等先代林弘道が長源寺の住職となる約束の下に長源寺代務者北条義章から昭和二十五年十一月八日本件土地を買受けたものであるから控訴人の所有となるべきいわれがないと主張する。而して、原審並当審における被控訴本人林満江の供述によれば長源寺代務者北条義章と被控訴人等先代林弘道との間に林弘道が長源寺の住職となる約束が成立していた如き供述をなしているが右供述は措信しがたく又原審証人小川正一(第一、二回)は林弘道の息林明達に対し長源寺の宗教法人としての認可手続書類を交付したことがある旨の供述をなしているが当審証人伊藤祐覚の証言によれば右の如き書類はついに所属宗派主管者の手許に出されなかつたことが認められるから右小川正一の証言のみによつては前記事実を認めがたく他に右事実を認めるに足る証拠はない。只、原審鑑定人兵藤栄蔵の鑑定の結果により成立を是認すべき乙第一、二号証原審並当審における被控訴本人林満江の供述によれば被控訴人等先代林弘道が昭和二十五年十一月八日長源寺代務者北条義章から本件土地を代金三十万円で買受けその手付金として三万円を交付したこと、その後本件土地の一部を内藤稔に売却しその代金の内十八万円を北条義章に払込んだこと従つて代金の合計二十三万円の支払をなしたが残代金の支払をなしていないことを認めることができ右認定に反する原審証人北条義章(第一、二回)同山田秋次郎同内藤稔同木村定吉の各証言は措信しがたく他に右認定を左右するに足る証拠はない。然しながら、右売買については当時施行されていた宗教法人令第十一条所定代の同意及所属宗派主管者の承の総認を必要とするところ、右の如き同意又は承認を得たことについては本件全立証によるも之を認めるに足る証拠がない。従つて、結局右売買契約は無効というの外なく、被控訴人先代、従つて被控訴人等も本件土地の所有権を取得するに由なきものというべきである。

二、被控訴人等が本件係争地上に本件建物を所有することは当事者間に争がない。而して、被控訴人等の占有する土地の範囲が別紙目録記載の土地の附属添附図面の範囲であることは被控訴人林明達同林満江同林尚司(以下単に被控訴人林明達等と称する。)との間においては当事者間に争なくその余の被控訴人等間においては明に争わないから自白したものとみなすべきであり、被控訴人等が右土地をその先代林弘道に引続き昭和二十五年十一月八日から占有していることは被控訴人林明達等の自認するところであり、その余の被控訴人等との関係においては弁論の全趣旨により之を認める。而して被控訴人等が被控訴人先代林弘道を相続したことは当事者間に争がなく右相続が先代林弘道が昭和二十六年七月二十三日死亡したるにより開始したものなることは被控訴人等が明に争わないから自白したものとみなすべきである。

三、前記の如く被控訴人等は本件土地につき所有せず且他に本件係争地を不法占拠するものというの外はない。従つて、被控訴人等は本件土地不法占拠により控訴人に対し賃料相当の損害を加えているものというべく当審鑑定人立木孝一の鑑定の結果によれば本件土地の相当賃料は昭和三十一年度は月坪百四十五円、昭和三十二年は月坪百五十八円、昭和三十三年度は月坪百六十六円、昭和三十四年度は月坪百八十七円、昭和三十五年度は月坪二百八円であることが認められ昭和三十六年以降は昭和三十五年度と同額又はそれ以上であることが推認せられる。されば、被控訴人等は控訴人に対し本件建物を収去して別紙目録記載の土地を明渡し且昭和三十一年一月一日以降控訴人主張の如き損害金を支払うべき義務があるものというべきである。

四、以上の理由により控訴人の本訴請求を認容し右と異なる原判決を取消し民事訴訟法第三百八十六条第八十九条第九十六条を適用し主文の如く判決する。(なお、仮執行の宣言は不相当と認め却下する。)

(裁判長裁判官 県宏 裁判官 越川純吉 奥村義雄)

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